埼玉県さいたま市北浦和駅徒歩5分、料亭『玉家』。お座敷で割烹、会席料理をコースで。また、ご会食、ご結納やご法事など大切なご会合に。

お問い合わせ:048-886-8027

うらわ 玉家

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料亭【玉家】
住所 〒330-0061
埼玉県さいたま市浦和区常盤
3-24-7
TEL 048-886-8027
mail info@tamaya1927.com
アクセス 京浜東北線北浦和駅
下車徒歩5分
営業時間 平日/17:30〜22:00
土,日曜,祝祭日
午前の部/11:30〜15:00
午後の部/17:30〜22:00
代表者 西川 和良
電車でお越しの方は… JR京浜東北線(大宮、赤羽、東京、横浜駅を経由)、北浦和駅下車。
東口から徒歩5分程度。
お車でお越しの方は… ◎国道17号方面から
・新大宮バイパス又は、国道17号線から国道463号線を川口方向へ
行きますと、線路を越える橋(浦和橋)を渡り、左方向。
周辺地図は、こちらから>>
◎最寄のインターチェンジは…
外環川口西IC又は、東北道浦和ICになります。
〒330-0061埼玉県さいたま市浦和区常盤 3-24-7
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"料亭玉家"の沿革

玉家の歴史

玉家の歴史―。

初代創業者は、喜久。兼吉・すま夫妻の長女として東京屈指の
屋敷町麹町三番町六十九に生まれる。
長じて浅草・龍泉町に住居、包丁人をしていた佐市と結婚。
根岸で料理店を開業する。
営業が順調になっていた二人はさらに松並木のある風光明瞭中仙道沿いの
浦和町仲町四五三一番地に置屋“喜久すずもと”を開業した。
大正八年のことである。勢いに乗っていた喜久の店はひどく繁盛した。

 
ー刻は大正末期のことである。

東京では関東大震災がおこり未曾有の危機に陥る。佐市・喜久も命からがら浦和に避難する。
話によると震災列車にのり赤羽の鉄橋を渡った直後に橋は無残にも荒川に崩れ落ちたらしいー。
幸い浦和はたいした被害がなく営業は続けられたが、根岸の店を引き払う。
喜久は志木市にも置屋をつくり長女ミヨと初太郎夫妻を住まわせ商売をはじめさせた。
才気活発なミヨの置屋はひどく繁盛した。英吉も学問を終え佐市の下で板前の修業に入った。
浦和の“喜久すずもと”は置屋だけではなく割烹も始めた。
                                                          【美術家 片野隆志 談】

ーこれが浦和の地に【松並木 玉家】として開業したいわれでございます。
それから、幾度となく激動の時代を乗り越えて浦和の地に八十年。
老舗というには口幅ったいが、現代まで料理屋として営んでまいりました。
残念ながら、当時とまったく同じつくりではございませんが「古き良き物を残し、新たなる何か」を懸命に創り続けているおりでございます。


開店当初からあります「建物と庭木」少しずつ手を加え、
より一層の風情を求めて。


玉家は、浦和の地でお客様に「何か懐かしくノスタルジックであり、
また新しい空間」をご用意致してまいりたいと考え営んでおります。

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